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創価学会のルール意識

日本社会の力学について書かれた本を取り上げます。
結局は創価学会も日本社会の延長にあって、同じような力学がある。

その農村では、村民の中の一人を候補者として立て、隣村から立つ候補者をおさえ、絶対当選をめざして、とくに中堅の村民たちを中心として、あらゆる手段を使って全力投球するかまえでのぞんだ。しかし、彼らとしても、選挙違反にあげられることは極力さけなければならない。そこで、いったいどのあたりまでならばあげられないですむかの判定が問題となった。

この場合、彼らにとって、国の選挙違反の規則は問題ではなかった。なぜならば、その規則は往々にして無視されるのが、その地方の慣習であるからである。要は、その規則からどのくらいまで出ても選挙違反としてあげられずにすむか、ということである。

そこで彼らは、その地方の選挙のベテランである、また日頃尊敬する有力者のところに相談にいったのである。そのボスが彼らにいったことは、「みんなのやっていることならよい。みんながやらないようなことは決してしないように」ということであった。

ここで使われたみんなとは、いうまでもなく、その地方の同じように選挙運動する人たちということで、本論でいう隣接諸集団にあたり、それらの動きにそって動くように、ということで、実に日本社会の動的法則をよくあらわしている。

あまりにも派手に行われる彼らの買収・饗応などを目撃した当地駐在のお巡りさんが、「やい、やい、そんなことをしたらいかんじゃないか」と注意すると、「やあ、少しやり過ぎたかなあ」という反応が返ってくる。法に照らせば不正を行っているわけであるが、彼らのシステムでは、全体の動きより自分たちだけが少し出てしまったのはよくなかったなという反省である。
 タテ社会の力学 (著者:中根千枝)より



このような社会において、国家の法規制、ルールというのは生活感覚から遠い存在であって、それに違反することがいけないという感覚はもちづらい。むしろ、ある程度はみ出して行動するのが当然ということになっている。ところがルールを軽視するからといって無秩序になるわけでもない。どのぐらいはみ出して行動するのがいいのか、周囲の行動を基準として細かく決まってくるからだ。ルールによってというより、出すぎた杭が打たれることで、秩序が保たれていくことになる。

これはこれで、機能する仕組みなんだけど、実際に行動する個人の責任感は希薄になっていく。やり過ぎた場合、悪いといってもあくまで程度問題であって、やっていることは自体はみんな同じだと感じるから。

もちろん今日の記事は、創価学会が組織的に買収饗応しているという話でなくて。

選挙のないときでも署名依頼を時々したり、選挙が近づくと公明党のアピールをしたり、投票依頼や投票所への送迎の申し出をしたり、投票に行ったかどうかを訪問や電話で尋ねたり、はたまた東京都議選の応援のために上京までしたり、という内容では(多くの相手とって迷惑行為でも)罪悪感を感じることは、難しいのだろう。

インターネット的に言えばスパムそのものだけど。そもそも迷惑だと思ってない場合もなくはないが、うっすら迷惑だろうと思いつつも、「選挙のときは少々の迷惑行為は当たり前だよね」という場合の方が主流だろう。何しろみんな(学会の他の地区や他党の支援団体、その他の団体)ある程度はやってるんだからと。

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