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「日本的モラリズム」と創価学会

前回『創価学会さまが許さない!』の続きです。

このように、「システムの話」を「モラルの話」にしてしまうということは、
モラルに関する感情論が先行して合目的的な「システム改革」が阻害される、という状況を日本で蔓延させている。
実際に「日本的モラリズム」は、あらゆる場面で日本人によるマネジメントを阻害しているのだ。

「日本的モラリズム」という文化の中では、こうした(マネジメント)プロセスの中で必要な「現状把握」「原因特定」「目標設定」「手段選択」などのあらゆるステップで、「モラル的に見て正しいか?」という発想が先行し、ロジカルな判断・行動ができなくなる。

具体的な現象としてよく起こるのは、 「システムの不備」がすべて「関係者のモラル感覚や意識や心」のせいにされてしまうということだ。

言うまでもないが、戦争中の「精神を鍛えればアメリカに勝てる!」という「精神主義」も「日本的モラリズム」の一側面であり、これがロジカルなシステム整備を阻害して、日本を敗戦に導いた。

そのような状況で多様されるキーワードは、「ケシカラン」とか「かわいそう」とか「心がない」とか「意識の問題だ」といった「モラルに関わる概念」だ。
 ―「世間様が許さない!」岡本薫 著

アレですね。
学会幹部に対して「こういう仕組みはオカシイから、こう変えたほうがいいんじゃないか」などと言ったら、「おまえの『モラル感覚や意識や心』が悪いんだ」ということになると。「(師弟不二の)心がない」といったような感じでしょうか。

著者は、こういった事が起こるのは「日本的モラリズム」が原因だと指摘しています。

■「日本的モラリズム」がマネジメントを阻害する

1.「現状把握」の阻害
 各主体ごとに利害の異なる「損得」の問題が、全員共通の「善悪」の問題にされてしまうことが多い。

これは創価学会にお任せ!といって言いぐらいの話ですね、非信者など会員外の人のことも、決めつけられてしまいがちです。

2.「原因特定」の阻害
 日本では原因を人の「モラル感覚」(心・意識など)に求めてしまうために、正しい原因特定ができないことが多い。

創価学会においては、問題の原因は「信心が足りない」「師弟不二が~」という型で、心に求めていますね。

3.「目標設定」の阻害
 モラルで考えてしまうと具体的目標設定が出来なくなる。


これはちょっと「該当せず」というところでしょうか?数値目標は多用していますし。
いやいや、考えてみれば一番大事な「福運をつける」という事に、具体的な目標設定がないですね。といっても、福運の憑き具合を観測する検査方法や、確認する指標がそもそもないですが。そもそも実在しませんし…

「日本的モラリズム」の文化を持つ日本で「目標」と呼ばれているものには、人々のモラル感覚にとって耳当たりの良い「美辞麗句」を並べた「抽象的なもの」「方向性のみのもの」が多い。これらはスローガンではあっても、目標ではないのだ。

政府部内で感染症対策を担当していたある官僚は、「特定の病原菌による感染をゼロにするとはできるが、それには膨大な経費がかかる。通常は、予算を考えながら目標感染率をセットするのだが、本来は『この率でいいでしようか?』と国民の意思を確認すべきだ。しかしそんなことを言ったら、日本では『その率の人は感染してもいいと言うのかっ!』と言われてしまうので、やむなく『二度と感染者を出さない方向で努力しています』としか言えない」という悩みを漏らしていた。
 ―「世間様が許さない!」岡本薫 著

「美辞麗句」を並べた「抽象的な~」「方向性のみの~」となれば、創価学会もかなりやってますよ。

4.「手段選択」の阻害
手段の適合は「目標を達成できるか」という点のみから判断されるべきものだが、モラルで考えてしまうとそれができなくなる。「特定のモラル基準から逸脱しない」ということも目標の一部となり、ロジカルな手段選択を阻害する。日本人の多くは、「その手段は良いか悪いか?」を考えるとき、「目標を達成できるか?」ということよりも「モラル的に正しいか?」を考えてしまう。

創価学会は、一見手段を選ばない姿勢に見えるかも知れません。

実際には、モラルで考えてしまった結果、「無意味な達成の仕方」を取る場合が多いですね。聖教新聞の多部数購読などですね。目標達成のために、目標そのものの目的に役に立たない方向での努力が頻繁になされたり。

しかし、たとえそうであっても、「特定の(創価学会の)モラル基準から逸脱しない」という条件は満たすことになるわけです。

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笑えました!

うちの両親がまさしくそれです。
「今月は○○月だから新聞啓蒙○○部しなくちゃいけない。」
「○月○日は××記念日だからおこたえするために公明新聞○部でこたえる。」等々。
子供の頃から長年、毎朝聖教新聞が10部程届いており、父通勤事読書用・母読む用・切り抜き用、祖母読む用。計4部のみ使用形跡がありましたが、残りの大半はそのまま新聞置き場に山積みにされていきました。勿論聖教グラフや大百蓮華も。
十代の頃に父に
「大半は新聞置き場に直行なのに、それ(過剰購買)、何の意味があんの?」
と聞いたら
「聖教新聞は学会活動の資源になるんだ。お父さんは池田先生に繋がるためにやってるんだ。」
と。
母に聞いたら
「新聞は創価学会や池田先生の魂の言葉なんだ。ママは読むのと切り分けるのに(両面印刷だから)何部も必要なのよ。」
と。………。
創価キチガイ両親に思考緊縛され、外界との繋がりが希薄だった私ですが、
「普段から『旅行にも連れて行って貰ってない。』だの『ママの指にはみんなみたいなお洒落な指輪もない』だの『新しいパソコンが欲しい』だのと愚痴ってるクセに新聞10部とか。他諸々…。こいつら本当に馬鹿だなぁ。」

と心底呆れた事を思い出しました。

で、
「誰にも読んで貰えないのに数字だけ上げるために無駄に出費してるわけだ。それって口先だけで『おれはやってるんだ』って言いたいだけでしょ。」

と、言い返したら、当時は発狂的に反論威圧され何故か私が叱られ私が悪いということになってましたが、数年後には

「お父さんはな、毎日新聞を余分に持って出て、駅のベンチに置いてきて、誰かに読んでもらえるようにしてるんだ。」

「ママは○○さんのところに新聞啓蒙したいけど、『お金を出す』となると『うん』とは言わないからママが沢山とって配って歩いてるのよ。」

と。
(-~-;)う~ん。この人達、本当に頭が悪いわ。

そのゴミを捨てる役目を担うのは、あなた方の自己満足の為にそれを置いて行かれた被害者です。
父は毎日駅に可燃ゴミを撒き散らし、母は毎日押し売りのノルマを達成するためのごり押しで可燃ゴミを撒き散らしているわけです。


数字と洗脳の見事なまでの社会不適合性を垣間見た気がします。
理論的思考を阻み続ける洗脳集団だからこういう洗脳人形が周りを引きずり込むための感情論でしかものを言えないんだと思いました。

Re: 笑えました!

多部数購読は、創価学会でよく見る悪習です。
使わない新聞を購読しつづけることは、
目標のためとはいっても、現実のごまかしであることが
簡単にわかってしまいます。

そして、
他人から見ても、オカシイことをしてると見えますし、
子どもから見ても、キレイな理想を掲げつつ、実際はゲスなことをやってる
というのは見えてしまい、不信感を招いてしまいます。

もちろん、不信感を招くために
ろくでもないことをしているわけではありません。

明らかにおかしいことをやってるよねという、他人目線をもってしまうと、
自分を現実をごまかせなくなってしまうためで、
現実をごまかしつづけるたいなら、バカでいるほかありません。

そもそも新聞というより、宗教団体のための宣伝紙なので
こういったものが毎日配達されてくるだけで、十分不快になります。
注意事項

ねま

Author:ねま
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