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複雑酩酊

複雑酩酊という言葉がある。
お酒を飲んだときの酔い具合を分類したものの一つだ。

すごく大雑把に言うとこんな感じらしい。

■複雑酩酊

気分は不機嫌
イライラが強い(被刺激性が強い)
著しい興奮が長く続く
普段のその人からは考えられない行動をする。(人格が激しくへだたる)
責任能力は限定的(心神耗弱)



なんだか、創価スイッチが入った状態に似ている。
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『センセイ』と、創価学会の人のカンケイ

健太君 「せんせい、創価学会の人って、どんな人たちなの?」

先生 「健太君は、どんな人だと思ってる?」

健太君 「なんだか、ハッキリとは分からないけど…。」

先生  「じゃあ、一般的な人と比べて、どう違う?」

健太君 「えー…、うーんと…
    (イケダ)センセイって人の言いつけを守ったりしてるのかな?」

先生  「まあ、そうだね。」

洋子さん「そのセンセイって、学校の教室に居て、
     掛け算や漢字を教えたりしてる人?」

先生  「名前はよく似てるけど、学校の先生とセンセイは違うんだ。
    センセイは一人だから、会員みんなのトコに、いつも居たりしないでしょ?」

健太君 「じゃ、どうやってるの?いない先生のお話は聞けないんだよ。」

洋子さん「わたしのクラスでは、先生がいないときに、
     自習の時間になったことがあったけど?」

先生  「いいところまで来たね。じゃ先生がいないときに、
     クラスのみんなは先生の言いつけをちゃんと守ってたかな?」

洋子さん 「さわがしくおしゃべりになっちゃったり…」

健太君 「教科書の問題じゃなくて、何かほかのことしてた子もいたよ…。」

先生  「そうなるね。でも創価の人もそうなんだよ。」

洋子さん 「わたしのクラスは、代わりの先生が来たらすぐ静かになったよ。」

健太君 「ひょっとして、創価の人にも代わりの先生が来るの?」

先生  「正解!代わりの先生の事を幹部って言うんだ。」

健太君 「じゃ幹部の人が、あれやれ・これやれって言うんだね。」

洋子さん 「幹部の人が言うと、すなおに言うこと聞くの?」

先生  「そうでも無いな。代わりの先生が来たときどうだった?」

洋子さん 「しぶしぶ」

先生 「創価の人も、わりとしぶしぶなんだよ。」

健太君 「ところで、幹部っていうぐらいだから偉い人なんだよね。」

洋子さん 「給料いくらなの?うちのおとうさんより凄い?」

先生  「別に偉くないの。給料も0円なんだ。」

洋子さん「それじゃ、ゼンゼン幹部らしくないじゃない。」

先生  「その辺にいる幹部はそうなんだよ。
     でも、態度の大きさはちゃんと幹部級だよ。」

健太君 「いらないよ、そんなのだけ…」

洋子さん「…おことわりします」

コメンターの皆さんへ

禁止ワード全削除してみました。

最近コメントがなかったのはこのせいかも!?

F2Cの禁止ワードが本文だけでなく、
URLにも反映されると今気づきました。

これで大丈夫かと。

「日本的モラリズム」と創価学会

前回『創価学会さまが許さない!』の続きです。

このように、「システムの話」を「モラルの話」にしてしまうということは、
モラルに関する感情論が先行して合目的的な「システム改革」が阻害される、という状況を日本で蔓延させている。
実際に「日本的モラリズム」は、あらゆる場面で日本人によるマネジメントを阻害しているのだ。

「日本的モラリズム」という文化の中では、こうした(マネジメント)プロセスの中で必要な「現状把握」「原因特定」「目標設定」「手段選択」などのあらゆるステップで、「モラル的に見て正しいか?」という発想が先行し、ロジカルな判断・行動ができなくなる。

具体的な現象としてよく起こるのは、 「システムの不備」がすべて「関係者のモラル感覚や意識や心」のせいにされてしまうということだ。

言うまでもないが、戦争中の「精神を鍛えればアメリカに勝てる!」という「精神主義」も「日本的モラリズム」の一側面であり、これがロジカルなシステム整備を阻害して、日本を敗戦に導いた。

そのような状況で多様されるキーワードは、「ケシカラン」とか「かわいそう」とか「心がない」とか「意識の問題だ」といった「モラルに関わる概念」だ。
 ―「世間様が許さない!」岡本薫 著

アレですね。
学会幹部に対して「こういう仕組みはオカシイから、こう変えたほうがいいんじゃないか」などと言ったら、「おまえの『モラル感覚や意識や心』が悪いんだ」ということになると。「(師弟不二の)心がない」といったような感じでしょうか。

著者は、こういった事が起こるのは「日本的モラリズム」が原因だと指摘しています。

■「日本的モラリズム」がマネジメントを阻害する

1.「現状把握」の阻害
 各主体ごとに利害の異なる「損得」の問題が、全員共通の「善悪」の問題にされてしまうことが多い。

これは創価学会にお任せ!といって言いぐらいの話ですね、非信者など会員外の人のことも、決めつけられてしまいがちです。

2.「原因特定」の阻害
 日本では原因を人の「モラル感覚」(心・意識など)に求めてしまうために、正しい原因特定ができないことが多い。

創価学会においては、問題の原因は「信心が足りない」「師弟不二が~」という型で、心に求めていますね。

3.「目標設定」の阻害
 モラルで考えてしまうと具体的目標設定が出来なくなる。


これはちょっと「該当せず」というところでしょうか?数値目標は多用していますし。
いやいや、考えてみれば一番大事な「福運をつける」という事に、具体的な目標設定がないですね。といっても、福運の憑き具合を観測する検査方法や、確認する指標がそもそもないですが。そもそも実在しませんし…

「日本的モラリズム」の文化を持つ日本で「目標」と呼ばれているものには、人々のモラル感覚にとって耳当たりの良い「美辞麗句」を並べた「抽象的なもの」「方向性のみのもの」が多い。これらはスローガンではあっても、目標ではないのだ。

政府部内で感染症対策を担当していたある官僚は、「特定の病原菌による感染をゼロにするとはできるが、それには膨大な経費がかかる。通常は、予算を考えながら目標感染率をセットするのだが、本来は『この率でいいでしようか?』と国民の意思を確認すべきだ。しかしそんなことを言ったら、日本では『その率の人は感染してもいいと言うのかっ!』と言われてしまうので、やむなく『二度と感染者を出さない方向で努力しています』としか言えない」という悩みを漏らしていた。
 ―「世間様が許さない!」岡本薫 著

「美辞麗句」を並べた「抽象的な~」「方向性のみの~」となれば、創価学会もかなりやってますよ。

4.「手段選択」の阻害
手段の適合は「目標を達成できるか」という点のみから判断されるべきものだが、モラルで考えてしまうとそれができなくなる。「特定のモラル基準から逸脱しない」ということも目標の一部となり、ロジカルな手段選択を阻害する。日本人の多くは、「その手段は良いか悪いか?」を考えるとき、「目標を達成できるか?」ということよりも「モラル的に正しいか?」を考えてしまう。

創価学会は、一見手段を選ばない姿勢に見えるかも知れません。

実際には、モラルで考えてしまった結果、「無意味な達成の仕方」を取る場合が多いですね。聖教新聞の多部数購読などですね。目標達成のために、目標そのものの目的に役に立たない方向での努力が頻繁になされたり。

しかし、たとえそうであっても、「特定の(創価学会の)モラル基準から逸脱しない」という条件は満たすことになるわけです。
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ねま

Author:ねま
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